大阪哲学学校のアッピール—「哲学する」ことからの再出発—

 

戦後の変動と新しい課題

 戦後も早や40年が経過しました。我々は今、我々の生きる生活世界の深刻な構造的変動を体験しております。この変動は、単に経済や政治、科学技術や社会階級構造の部面にとどまらず、人々の生活様式や欲求構造、意識構造をもおおうようを変動だと言えるでしょう。哲学が現在直面しているのはこの歴史的現実なのであり、また、我々を改めて哲学へと、世界観的反省へと促しているのもこの現実なのです。

 経済上の不均等発展とそれに伴う内外の諸矛盾の尖鋭化を基盤に、再び、日本の軍事大国化と政治の反動的再編成が進みつつあります。

 金権政治と官僚支配、選挙基盤の利権集団化、青年の政治的無関心、「大衆社会」型の心情動員政治の拡大、労働組合や自治会など勤労者の自立的組織の弱体化など、民主主義の実質の空洞化も相当進行しております。

  家族や性や宗教、教育や芸術やスポーツ、マスコミやジャーナリズム、こういった社会・文化の諸領域への商品=資本関係の解体的浸透、営利主義と競争主義による文化の退廃も随分深刻です。

 宇宙空間にまで拡大されようとしている軍拡と人類絶滅戦争の脅威の増大があります。

 地球的規模で進行する生態学的環境の急速度の破壊をどう喰いとめたらよいのか。

 核エネルギーだけでなく、遺伝子、脳細胞、深層意識、さまぎまをレヴェルの情報、こういったものを次々操作可能としつつある人類は、その技術の独占を基礎とする新たを支配と抑圧の形成にどう立ち向うべきなのでしょうか。

 旧植民地主義の一掃は戦後世界がなしとげた最も価値あるものの一つでしょう。しかし政治的自立をかちとった途上諸国も、実質的解放にはほど遠い状態にあります。

 革命と解放、実験と誤謬、包囲と試練、そしてスターリン批判へと連続した社会主義諸国も、今日、社会主義的民主主義と経済建設の両面で根本的な問題に直面している一つの過渡的社会として、直視されなければならない時期に至っております。

 

「哲学する」ことからの再出発

 戦後発展を通じて我々が直面するに至ったこれらの諸問題は、いずれも、我々に対して、従来の世界認識の根本的再点検と、世界観上の反省を迫るものと言えましょう。

 人間は何を知りうるのか。宇宙とその中における人間の位置はどんなか。人間は何をなすべきであり、また何をなしうるのか。人生の意味(生き甲斐)とは何か、本当の「自由」、本当の「幸福」とは何か。「進歩」と「反動」、「豊かさ」と「貧困」とは何か。これら古くからの問いが、新しい内実をもって改めて問われなければならなくなっているわけです。

 色々な領域の活動家や研究者の間で、もう一度、哲学的基礎にまでさかのぼって自分達の「批判の論理」を再構築する必要がしばしば指摘されるのも、決して偶然ではありません。

 「物の時代から心の時代へ」という最近の常套句にもある通り、世界観への人々の放求も顕著に増大しています。しかしそれが充足される通常の形態は、「逆立ちした世界‐意識」(マルクス)としての「宗教」への回帰であり、「カルチャー商品」の単なる消費であるにとどまるのです。

 日本の哲学者達は、総じて言えば、哲学に対するこのようを要求に応じられる状態にない、というのが現状でしょう。海外哲学の紹介と咀嚼、益々細部に入りつつある哲学史研究、こういったものは確かに必要不可欠ですが、それだけでは核心部分に欠落があります。それはもちろん、「日本的なもの」「東洋的なもの」の欠落ということではありません。時代が提出している課題にもっと哲学を直面させるという姿勢が欠けているのではないか、このことが今、問われているのです。時代の急速な推移の中で、既存の哲学諸体系はいずれも、大なり小なり、再点検・再展開を迫られていると言えるでしょう。しかしそのことは決して、「哲学する」こと、「哲学的に考える」ことの今日的意義をいささかも貶めるものではありません。

 「哲学的思考」の特徴は、権威であれ、伝統であれ、世論であれ、「科学的事実」であれ、「主体真実」であれ、何であれ、直接に与えられたものをそのまま絶対化しない点にあります。これら直接的なものを「概念的に」考えること、「総体的に」考えること、「根拠から」(「根底的に」)考えること、「批判的に」考えること、「体系的に」考えること、これが「哲学する」ことにほかなりません。

 あれこれの既存の哲学体系に安易にのっかろうとするのではなく、時代が提出している課題に即して、哲学してみること、先ずはこのことから再出発しなければなりません。

 

現代青年にとって哲学とは

 しかし「現代の青年は“避考”化し、哲学離れし、フィーリングに生きているのでは?」と反間されることでしょう。実際、音楽、視覚的をもの、パフォーマンスといった、非言語的非概念的をコミュニケーションに対する現代青年の感受性には、注目すべきものがあります。

 ところで、これらいわゆる「象徴的をもの」は心情と想像力にアッピールしますが、同時に「意味」が無規定で多義的であることを特徴としています。これに対し哲学のように「概念的なもの」は、「意味」をしっかり限定し、普遍的なものや法則的なものをとらえようとするわけです。

 本来、鋭いパトスや豊かを感性は、思考を鋭く、創造的にするものでなければなりません。概念嫌い、哲学嫌いのいわゆる「情念主義」や「パフオーマンス主義」は、果して本当に豊かな批判的感性を示しているのでしょうか。

 戦前の「勅語奉読」や最近の「日の丸」「君が代」強要を例にとるまでもなく、感性やパフォーマンスもまた、支配と動員の重要なチャンネルなのです。教育統制を介しての国家による「言葉」のイデオロギー的コントロール、マスコミが次々流すキャッチ・フレーズヘの「言葉」の退行、こういった「言葉の呪縛」に対しては自分達の言葉、自分達の概念を創造的に展開することによって闘わねばなりません。

 受験勉強そのものが、知の主体的前提に対する無批判性と世界観上の無知を純粋培養しているという側面も、一切の幻想なしに直視しておかねばなりません。

 だからこそ我々は、「青年よ思想を鍛えよ!」「青年よ自立的批判精神を鍛えよ!」と強く訴えているのです。

 

哲学運動の一つの新しい実験

 文化運動というものは、いかにささやかな規模と力のものであっても、新しい文化の創造を決意するところから出発しなければなりません。「大阪哲学学校」は、生活現場、活動現場と哲学とを結合する努力を通して、新しい知的連帯の形成を目指します。

 「身内意識」やナショナルな心情、「世間の常識」や「現実主義」に安易にヘバリついてしまわずに、人類の一員としての相互連帯や個人としての日立性を可能にするような、普遍的理念を探究し堅持すること。

 政治的無関心や社会問題への沈黙をもって美徳とする悪弊に追随せず、公衆に向って自分の見解を公然と表明することを当然視するような文化風土を形成すること。

 人身攻撃や思想外的手段による思想への抑圧を決して許容せず、根拠に基づく公正な相互批判と自己批判を行うというスタイルを定着させること。

 「言論の自由」を錆びつかせないためにも、天皇もセックスも共産主義も、タブーや聖域を置かずに批判的吟味に付すこと。

 こういう知的スタイルの輪を広げたいのです。

 このささやかな哲学運動が一つのきっかけとなって、学園や職場や地域で、たとえ3人でも4人でも集り、しっかりテクストを読み、自分の頭で考え、発表・表現の場を自分達でつくるようを「研究会」、相互批判の場、自主的批判精神形成の場としての「研究会」を創り上げようとする努力が生まれることを、我々は期待します。

 昨今、「非合理主義の嵐」の再来の予兆があちこちに見られます。しかし今必要なことは単なる警鐘乱打なのではなく、思想性を鍛え、批判性を鍛えるための地道な努力の再展開ではないでしょうか。

 哲学に興味のある総ての青年、学生、労働者、市民の皆さん。様々な領域の活動家の皆さん。哲学運動のこの新しい実験にどうぞ御参加下さい。

(1986年4月)

 

「大阪哲学学校」暫定規約


(前文) 大阪哲学学校は1986年に大阪唯物論研究会哲学部会によって設立され同研究会の指導ならびに同会の季報『唯物論研究』〔現在は刊行会として独立〕との連携のもと、講座・読書会・シンポジウム、海外研修旅行などを主催してきたほか、「天皇制」「企業モラル」「日本の保守」などをテーマとした共同研究を組織し大阪哲学学校編著として出版した。 そうした活動の中で蓄積されてきた会員の能動的なエネルギーを、哲学学校の企画・運営の担い手としても活かし、本校と会員双方がさらに成長・発展するため、1995年に大阪哲学学校を設立母体から自立し、会員が運営する文化団体として再出発させた。 しかし、これまでの経緯ならびに活動の実態を考慮し、大阪唯物論研究会哲学部会ならびに『季報・唯物論研究』刊行会とは今後も友好協力団体として相互に支援しあい、本校設立以来その活動を支えてきたスタッフも引き続き全面協力することを確認しつつ、会員自治による新しい学校運営をスタートさせた。したがって本規約は、会員自治が順調に機能し、本校が活動の自立的再生産を果たせるようになるまでの暫定的なものである。


第1条(名称) 本校は、「大阪哲学学校」(英語表記は”Osaka Independent School of Philosophy”)と称する。


第2条(所在地) 本校の所在地(連絡先)は、当面、代表世話人宅とする。


第3条(目的) 本校は、広く市民に開かれた哲学研究の場、哲学的「対話」の場である。本校は、「生活と哲学の結合」をめざし、哲学の立場から生活をまた生活の立場から哲学を吟味することを通して、「哲学する」ことを学ぶ場である。


第4条(活動) 本校は、講座・講演会・読書会・シンポジウム・見学会・研修旅行など、「生活現場と哲学の接点」となるべきさまざまな催しならびに研究活動を企画し行う。また催しの連絡をするために「大阪哲学学校だより」(以下「たより」)を、会員相互のコミュニケーションを主たる目的として「大阪哲学学校通信」(以下「通信」)を適宜発行する。2 「たより」の送付は電子メールを原則とし、不可能な場合は郵送する。「通信」の発行については、別にガイドラインを設ける。


第5条(会員) 会員には、本校の主旨に賛同し参加の意思を有する以外、いかなる資格制限も設けない。2 入会希望者は、年会費をそえて世話人会に申し出る。会員登録は、その年の1月1日から12月31日までを原則とし、途中入会の場合は入会を申し出た日から12月31日までとする。ただし、7月1日以降に入会した場合は、年会費を半額とする。3 退会は自由であり、世話人会にその意志を表明した時点で退会したものとする。ただし、すでに納入した年会費は返却しない。4 会員は、「たより」で催しの案内を受けるほか、総会での議決権ならびに世話人への立候補や「通信」への投稿の権利を有する。またホームページの「会員専用」ページにアクセスし、催しの配付資料などを利用することができる。5 会員以外の誰でも、本校の催しへは規定の参加費を支払って自由に参加できる。6 年会費、参加費の額は会の財政状態や物価の動向などを考慮し、総会によって定める。なお、一定の条件を定めて年会費と参加費を割引くことができる。註1


第6条(総会) 毎年1回定期総会を行う。総会は世話人会が招集する。総会は本校の最高の意思決定機関であり、すべての会員が議決権を有する。総会は①前年度の活動総括、②年間基本方針の決定、③代表世話人および世話人の選出、④顧問の委嘱、⑤会計報告の承認、⑥規約の改廃等を行う。必要に応じて臨時総会を行うことができる。また会員の3分の1以上の要請があれば世話人会は臨時総会を召集せねばならない。


第7条(世話人会) 世話人会は、総会で選出された代表世話人1名、世話人若干名によって構成され、総会決定に基づいて日常的に本校を運営するとともに、次期総会まで総会に代わって諸決定を行う。世話人会は総会を招集し、議案を提出する。代表世話人ならびに世話人の任期は1年とし、再任は妨げない。各世話人は世話人会の決定に基づいて本校の日常業務を分担して執行する。各世話人は必要に応じて業務の一部を会員に委託することができる。代表世話人は対外的に大阪哲学学校を代表するとともに、世話人会を招集・主宰して各世話人の活動を調整し、運営全体の責任を担う。世話人会の開催は当面不定期とするが、世話人の半数以上の要請があれば代表世話人は世話人会を招集しなければならない。また企画等の重要な決定に際しては、会員からの意見を聴取するための拡大世話人会を開くことができる。世話人会は民主主義の一般ルールに基づき運営される。


第8条(顧問) 本校の活動全般について豊富な経験と高い知見から助言・協力いただける適任者を、本校の「顧問」に委嘱する註2。「顧問」は、年会費と参加費を免除した特別会員とする。


付則 本暫定規約は、1995年9月17日の大阪哲学学校1995年度総会における決定により発効する。

2 本暫定規約は、1996年9月28日に開かれた大阪哲学学校1996年度総会での決定により改訂発効する。

3 本暫定規約は、2003年11月1日に開かれた大阪哲学学校2003年度総会での決定により改訂発効する。

4 本暫定規約は、2013年4月13日に開かれた大阪哲学学校2013年総会での決定により改訂発効する。


※註の事項について、2013年は下記の通り総会で決定・確認された。


註1 年会費:千円

   参加費:千円(学生や年金生活者などは申し出により半額とする)

    ※ただし、特別な催しの参加費は別途定める


註2 顧問:山本晴義(本校前校長、大阪経済大学名誉教授)